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生き延びることと、生きていくこと

  • 投稿日 2023年10月20日
  • 更新日 2023年10月23日
  • 著者 井上洋樹
  • 記事のカテゴリー こども
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私たちはそれぞれが、今日まで生きてきました。

「サバイバー」とは「災厄を乗り越えて生き延びた者」という意味ですが、災厄がなくても私たちの生き延びは、それ自体で意味のあるものです。

大切な人の誕生日がめぐるごとに、一年の平穏を経て今があること、乗り越えるべき災厄が何も起こらなかったことをむしろ喜ぶ私たちです。災厄の可能性(あるいは、可能性としての災厄)を乗り越えて今を迎えているということまで含んで、私たちはみなサバイバーだと高々に宣言したい気持ちが湧いてきます。実際、一日を生きることが、一日を乗り越えるものではない人がいるでしょうか。私たちはみな、今日までよく生きてきたのです。

とはいえ正しい言葉遣いでは、サバイバーとは戦争、災害、虐待、いじめ、性被害などを生き延びた人たちのことです。しかし、サバイバーはずっと「サバイバー」なのでしょうか。ある意味ではもちろんそうです。生き延びた事実それ自体は、その後も変わりません。けれどサバイバーであるなかで、「サバイバー」という肩書はもはや自分のものではないと感じる瞬間もくることでしょう。サバイバーがいつまでも「サバイバー」として生きねばならないのでもありません。

関連してもう一つ、だれがサバイバーを「サバイバー」と呼ぶのか、という問題もあります。かつてナチスの絶滅収容所を(肉親や家族のほとんどを失って)生き延びた子どもたちは、子どもだったことを理由に長らくサバイバーと見なされませんでした。もし彼ら彼女らが自分たちを「サバイバー」と自認したとして、おそらく偽物扱いを受けたでしょう。

似たことは、当事者をめぐっても起きています。ある人はそれが自分にとって占めるものの大きさから「当事者」を名乗るかもしれません。しかし、他の人はその人が経験したことの大きさで「当事者」かどうかを判断するかもしれません。本人の経験は本人固有のものですが、「当事者」というラベルはその人の外部にあるものです。完全に一般的ではないが、かといって全く個別でもないあいまいな領域に「当事者」というラベルがあり、そこにその活用の難しさ(ときに危うさ)が潜んでいます。

わたしは「サバイバー」も「当事者」も、生き延びるために必要になる言葉なのだと思っています。言い換えると、生き延びることをやめたときに不要になる言葉です。

生き延びることをやめるとは、必ずしも死を意味するわけではありません。「生き延びる」の反対には、「死ぬ」以外にもうひとつ「生きていく」があります。「生き延びる」とは、今を絶えず「結果」として受け止めるような生き方です。いわば、海のなかで必死にバタ足を続けながら、そのつど、いま沈んでいないことを確認するような生き方です。しかし生き方とは、それだけではありません。

「死ぬ」とまず対峙するのが「生き延びる」だとして、さらにもうひとつ向こう側に「生きていく」があります。「生きていく」とは、今という瞬間を絶えざる「始まり」として経験し続けるような生き方です。誰もに共通するもっとも普遍的なことは、私たちがみなかつて誕生したという事実です。その瞬間のように、今を始原として、前に向かって生きるのです。それが「生きていく」です。

しかし「生きていく」ためには、大事な前提条件があるように思います。それは、自己の存在をただ肯定してくれる人が周囲にいることです。その人たちが特別な人である必要はありません。その肯定がかりに的外れであっても構わないでしょう。けれど、自分が向かおうとする方角にそうした人の存在が感じられぬまま、なおそちらに向かって「生きていく」ことはできないと思います。

「生き延びる」に必要なのがバタ足のための「フィン」だとしたら、「生きていく」に必要なのは「浮き輪」かもしれません。フィンは高機能なものが有難いですが、浮き輪は自分の体にあったものがいいでしょう。普通のもので構いません。空気が抜けたら、自分の息でふくらませることもできます。

「浮き輪」がある状態は、私たちが生まれたときの姿そのものです。赤ちゃんや幼い子たちの生き様が、「生きていく」の原型です。私たちは、子どもから大人になるにつれて「浮き輪」を外して、自立せねばならない、それが真っ当なのだと教わりました。けれど、ひとたび浮き輪に身をおさめて海に浮かべば、私たちは全面に広がる海と出会うことができます。そしてそこには、前後左右、どの方向に行こうが構わない自由が広がっています。「浮き輪」があれば、私たちはありのままに、思うままに、自由に生きていけるのです。

わたしにとって生きることは、長らく生き延びることと同義でした。しかしいつの間にか私を囲ってくれていた「浮き輪」のおかげで、私は少しずつ生きていけるようになりました。そのことに気づいたのは、ごく最近のことです。しかし、いつ忘れないとも限りません。これから生きていこうとするなかで、うかうかと浮き輪も持たずに海に行こうとすることがないよう、いま見えている景色について記しておければと思います。

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