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将来にむけて学ぶことで、自立可能な選択肢をひろげ、社会の一員として成長・貢献できます。 しかし、そんな理想とはかけ離れた現実が、児童養護施設の子どもたちを苦しめています。 |
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この状況を変えるべく、子どもたちが愛されて育つ人的ケアや住環境の改善を資金面から継続的に支援することが求められています。 |
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一人暮らしの開始には住居費の初期費用や当面の生活費を含めて、約100万円が必要といわれています。 高校に進学しても、将来の一人暮らし開始費をアルバイトで貯めなければならず、学ぶ意欲や時間を持ちにくい環境にあります。これが高卒率や大学進学率を下げる一因となり、将来自立できる選択肢をせばめています。 この状況を変えるべく、子どもたちが将来にむけて学ぶ機会を資金面から継続的に支援することが求められています。 |
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![]() ※クレジットカードのVISA,MasterCardが使えます よくあるご質問はこちらから ※寄付額の変更・停止はご自由です。 ※このプログラムでは、あらかじめ期間を設定いたしませんので、停止のお申し出をいただくまで自動継続されます。ご登録内容(募金額やメールアドレス等)の変更やご支援停止の際はご連絡ください。 ※単発での寄付をご希望の方は、以下の口座までお振り込みをお願いいたします。 みずほ銀行(0001) 虎ノ門支店(046) 普通口座 4109587 口座名義 特定非営利活動法人Living in Peace カナ表記 トクヒ)LIVING IN PEACE なお、単発寄付の場合は原則としてマンスリーニュースレターを配信しておりません。 |
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![]() 経歴 ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表として、日本の外交政策のなかで、人権が優先課題となるよう、日本政府に働きかけるアドボカシー担当。 また、メディアやファンドレイズを通じ、ヒューマン・ライツ・ウォッチの日本における知名度を高めることも担当している。 2006年からヒューマン・ライツ・ウォッチのスタッフ。それ以前には、東京を拠点に弁護士として活動していた。 取扱い分野は、難民法、移民法、憲法、刑事弁護など。国際人権法に関して、メディアからのインタビューを受けたり、出版を行なうことも多かった。 東京大学で法学学士号、ニューヨーク大学ロースクールで法学修士号(国際法)を取得。日本語と英語を話す。 |
中学校3年生か高校1年生のときだったと思います。国語の先生が、授業で数枚のプリントを配られました。紛争から逃れて難民キャンプで暮らす アフリカやアジアの子どもたちの実態のルポ「人間の大地」(犬養道子著)の一部抜粋でした。そのプリントを読んで、衝撃を受け、いてもたってもいられなくなった私は すぐに学校の図書館にとんでいって、「人間の大地」をむさぼるように読んだのでした。この本との出会いが、今の私の出発点です。グローバルな人権問題に目を見開いてくれた のは、学校でした。 ・子どもたちを支援、そして子どもを支援している若者たちも支援 中学校のころから、両親がけんかばかりしていて、家に帰るのが本当に怖かったのをよく覚えています。その後、10年くらいかけて両親は離婚したの ですが、その間に耐えられなくなった私と妹は家を出てしまいました。そんな自分の経験もあり、すべての子どもたちが、愛をいっぱい受けて育ってほしいなあと思います。 それが社会の大人の責任ではないでしょうか。 また、児童養護施設の子どもたちを支援しているのが、代表の慎君をはじめとする若者だというのもうれしいです。若者による子どもたちの支援を、私も支援します。 |
![]() 経歴 2005年6月にソニー会長兼グループCEOを退任後、2006年9月にクオンタムリープ株式会社を設立、産業の活性化や新産業・新ビジネスの創出を実現するための活動を展開している。他にアクセンチュア、百度(Baidu)、フリービットなどの社外取締役、美しい森林づくり全国推進会議の代表を務める。 60年早稲田大学卒業後、ソニー入社。オーディオ事業部長、ホームビデオ事業本部長を経て、89年取締役、94年常務。95年社長兼COOに就任後、会長兼グループCEOなど10年にわたり歴任、2005年から2007年まで最高顧問。 現在はソニーアドバイザリーボード議長。1937年東京生まれ。 |
私の原体験は、子どもの頃の満州での経験にあると思います。日本の植民地だった満州で、日本人が中国人に対して行っていることを子どもの目で見て、征服者と被征服者のギャップに違和感を抱いていました。 そして、戦後には、それがガラッと逆転しました。中国人の子どもから、おもちゃを無理やり取り上げられたり、殴られたりしました。ソ連軍も入ってきて、口には出せないようなひどいことになっていました。 日本に帰ろうと、どこに行くのかも分からない船にギュウギュウ詰めになって乗りました。船底にいた自分の身体には、「ノミがいるかもしれない」とDDTの粉がまかれました。経済学者だった父はソ連に連れていかれる可能性が高いので、自分もロシア語を勉強しなければいけないのかな、とか考えながら、やっとのことで日本に帰ってきました。 今も中国残留日本人孤児の話を聞くと、他人事には思えません。自分はたまたま運が良かったから日本に帰ってくることができました。そんな幸運やチャンスに恵まれなかった子どもが、戦後の当時もいたし、今の日本にもいます。 慎さんから児童養護施設の話を聞きながら思い出したのはそういう思い出でした。 ・一線で働く人にも関心を 清華大学のアドバイザーをしていますが、そこに来る「エリート」の学生たちに、中国の地方の農村部に行ってその窮状を見てくるというプログラムを奨励しています。 海外の途上国に行ってくる以上に、カルチャーショックを受ける学生が多いです。 第一線で働くビジネスパーソンや官僚・政治家も、こういった日本の窮状を知った上で自らの活動を行うことによって、仕事の広がりや深みが増すのではないでしょうか。少なくとも、昔のこの国では皆がそうでした。 幅広い人々が児童養護施設に関心を持つことに主眼を置くこのプログラムChance Makerを私も応援します。 |

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《新着情報》
- 2012.05.17
- Chance Maker マンスリーニュースレター vol.16
- 2012.05.13
- LIP新ファンド企画コンペティション2012結果のご報告
- 2012.04.30
- 5月のChance Maker アワー












































